Ⅴ.心得

拳の三要

拳の三要・・・「技 術 略」について

「技」とは、基本や法形のことであり、主に身体の動かし方を学ぶ。
「術」とは、基本の動きや法形を実践の中に運用させる技術のことであり、乱捕によって育てていく。
「略」とは、智略・戦略などのことであり、演武によって戦術組成を考えていく。

だから、修行の順序は「基本→法形→乱捕→演武→基本・・・」と行なうことが望ましいと思う。

法形で「技」を学び、反復練習することで間合や角度などいろいろな変化が「技」を「術」に近づける。そして、運用法にて「術」へと育て、さらに高みへ持っていくのだ。それから、乱捕りの中で「略」を考え始める。演武を構成することを通して、さらに「略」を深めていく。
だから、規定演武である小学生では「略」への到達は難しいが、自由演武である中学生以上は自然と「略」の段階へ進んでいるはずである。
「無理のない構成」という表現は、「理に適っている」という意味である。
逆に「構成に無理がある」と感じる時は、「実践では在りえない動き」ということなのだ。
「略」とは学ぶよりも、考えることの方が大部分を占めるだろう。先生や先輩達から演武構成を訂正されるのは、経験や知識が豊富なので、より良い戦術組成や理法に直してくれているのだ。しかし、自分で考えて変更していくことが知識と経験を重ねることになるので、あまり大幅な変更や口出しをすることがない。だから、「略」について学んだという実感がないだろう。でも、「略」の段階へ進むことは、何も特別なことではないのだ。気付いていないだけで、自然と学び考えていることなのだ。
もちろん、意識の有無で程度の差は大きく出るだろう。
しっかりと「技 術 略」について意識を持つことが大切であると思う。

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当身の五要素

『当身の五要素』とは、各種の当身を効果的に行うための五つの必須条件である。その内のどれか一つでも欠けると効果は期待できない。

一、急所の位置・・・当身は、正確に急所に当てないと効果は薄くなる。動く相手の急所へ正確に当てる練習が必要。
少林寺拳法では男子138穴、女子137穴を活用する。

二、当身の間合・・・「一動作で相手に有効な当身を加えることのできる距離」「自分の突きや蹴りが相手の急所に十分に届く距離」のことである。適切な間合いから当身を開始することが重要。

三、当身の角度・・・急所にはそれぞれ、当てられたときの最も効果を発揮させる角度がある。しかし、それを外すと効果は薄くなる。各急所の最も効き目のある角度に当てなければいけない。

四、当身の速度・・・速度が速いほど、当身の力は大きくなる。従って、狙った急所までの最短距離を最小の時間で当てられるように、突き蹴りを繰り出す練習が必要。また、鋭い引きの冴えも大切である。(昔の本山では「当身の六要素」と言い、「当身の冴え(引き)」を別項目であげて強調していた。)

五、当身の虚実・・・「実」とは力の充実、「虚」とは力の欠如・隙のことである。「虚」には「体勢」「体質」「精神」の3つがあるが、これらが充実している時は、効果は期待できないので、いずれかの一つでも欠けている時、または虚を作ってから当てる。

上記の「当身の五要素」が級拳士の頃に教わったものであるが、実はこれは「攻者としての当身の五要素」なのである。「守者としての当身の五要素」や「柔法の五要素」も発展させて考えなければいけない。
開祖は「『当身の五要素』というものは、人生の極意だ。」と言われた。
少林寺拳法の技法は、人生においても役に立つ。対話(人間関係)の五要素にも発展させると良い。

【守者としての当身の五要素】

一、急所の位置・・・空いている急所・当てやすい急所へ、正確に当てること。

二、当身の間合・・・体捌き・足捌きを使い、適した間合に占位しておいて反撃する。

三、当身の角度・・・急所に応じた、有効な角度で当てること。

四、当身の速度・・・受けたら即反撃を行い、当身の速度は速く、引きを鋭くする。

五、当身の虚実・・・攻撃の際の「虚」や、受け等で作った「虚」へ当身を行う。

【柔法の五要素】

一、経絡の位置・・・逆や捕りなど最も良く効く線を作り、経絡や急所を攻める。

二、柔法の間合・・・線を作るのに有効な間合で、掛け手や捌き手は胸元で掛ける。

三、柔法の角度・・・効果的な線や、崩し・倒しの方向へ向かって掛ける。

四、柔法の速度・・・技を掛ける時は、流れるように最後まで止まらずに行う。

五、柔法の虚実・・・当身・牽制を当てて肉体・精神に虚を作り、技を掛ける。

【対話の五要素】

一、要点の位置・・・伝えたいことや聞きたいことの、要点をしっかりと捉える。

二、立場の間合・・・相手との立場に応じた、適切な言葉遣いと態度で話す。

三、観点の角度・・・違う観点からも物事をみたり、例を挙げて理解を深める。

四、会話の速度・・・不快な間を作らず、聞き取りやすい速さで話す。

五、会話の虚実・・・相手が聞く姿勢の時に話し、話す姿勢の時には聞く。

当身の五要素だからといって、痛める・制圧するばかりではない。心地良くさせることもできるのである。
中国には「医武同源」という言葉があるが、これは医術と武術の根本は同じであり、身体・経絡に精通していて、角度を変えれば武術にも医術にもなるという表裏一体の考え方である。角度を変えることで、効果を変えることも知らなければいけない。
拳禅一如・心身一如の修業を行っている我等は、対話などにも五要素を活かせるよう精神面も合わせて精進していこう。

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講話の骨子10ヵ条

たまには技術以外のものも書こうと思います。
指導員としての心得を、お師さんから聞かせて頂いたことです。
お師さんがお山に居た頃、おヒゲの爺さんに言われていたことだそうです。

【講話(教え)の骨子10ヵ条】

①弱いものいじめをするな。身を以って守ってやれ。
②決して負けたと思うな。今から精進の始まりと思え。
③信頼されたら裏切るな。善縁は運び育てる努力を惜しむな。
④身につけるには、毎日の繰り返しの地道な努力を惜しむな。
⑤自分を認めて、自分自身と上手につきあうことを身につけろ。
⑥拳法バカにはなるな。いろいろな事に興味を持ち、取り組め。
⑦友達・仲間は、お互いに力になり合うこと、支え合うこと。
⑧先生・先輩には敬意を、他人や後輩には思いやりを持て。
⑨明るい、さわやかな前向きな人間になろう。
⑩喧嘩の仕方を覚えろ(最後は話し合い・双方の納得である)。

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剛法と柔法

『剛法』とは、我と彼とが激突して彼を倒そうとする技のことを言う。
その力の伝え方は、「関節の連動による力の伝達」といえる。
初めのうちは、攻技にしろ防技にしろ自分の関節を連動させることにより、関節毎に加速させて力を伝えることを意識する。慣れてきたら、丹田を中心に全体に爆発するように伸びていくように行う。
突きの場合で例えると、前者は足首→膝→腰→肩→拳という感じになる。それに対して後者は足首←丹田→拳というふうになり、拍子が速くなる。
他には、前者は「うねり」を使うので「居着き」が起こりやすく、後者は「うねり」がないので軽くなるのだ。うねるとは踏ん張ることで可能になる動きであるから、居着きやすい。うねらないことは踏ん張りをなくすことになので居着きにくく、運歩がスムーズに行えるということになる。

『柔法』とは、我と彼とが接触した状態で変化を起こし、彼を制しようとする技を言う。
その力の伝え方は、「関節の連結による力の伝導」といえる。
逆や倒しで例えると、「線」をつくり相手の関節を連結させることで、力を伝え相手を操作することである。投げや倒しでは「線」を作って「点」で攻める意識、固めでは「面」と「点」の違いを意識して行う。そして、この時に力を伝えるためのコツが「圧力」を使うことであり、そのために自分と相手の「腕の一本化」を使うことである。

剛法でも柔法でも共通していえることは、「先に開展(大きく伸びやか)を求め、後に緊奏(小さく引き締める)に至る」というところだ。大きく動くことで大きな力を手に入れ、徐々にムダをなくしていき動きを小さくしながら鋭さを増していくように稽古しなければいけない。
そして、剛法の延長に柔法があり、柔法の延長に剛法があるという意識も大切である。また、剛法の中にも柔の要素を取り入れ、柔法の中にも剛の要素を持ってくる。そうすることで、本当の「剛柔一体」といえるのだと思う。

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「構え」で大切なこと

「構え」で大切なことは何か?
さまざまな武道があるが、そんな中で「無構え」というものを耳にしたことがある。柔道でも「自然体」というものがある。
我等の少林寺拳法でも、立無相構とも待気構とも言われるお髭を撫でる開祖のあのポーズもそうであるが、これといった構えはないがどれも気構え・心構えができている状態である。
いつでも、安定して、楽に早く動けることが大切なのだ。
信号待ちでアイドリングの状態の車と、エンジンをストップしている車とでは、信号が青になった時、どちらが早く走り出せるか?
これが心の準備であり、心構えということだと思う。それができていない時、「居着き」になると思う。フットワークを使えば、これが楽に行えるのだ。しかし、ボクシング等で見られる華麗なフットワークは、東洋の武道ではあまり見られない。でも、東洋の武道にもフットワークはある。
独楽は何故、安定して立っていられるか?
それは、重心と軸が、しっかりと保たれているからである。
では、回っている独楽に触れるとどうなるか?
触れた瞬間に弾き飛ぶが、また安定して回り続ける。
この意識が、東洋の武道のフットワークと考える。見た目には動いていないが、心も身体も準備ができている。まずはこれが大切で、ボクシングのようなフットワークを極限まで小さくしていく。すると、独楽のように軸は安定し、重心または丹田で超振動が起こっている状態になる。これが、東洋武道のフットワーク(歩法)だろうと考える。
そして、いくら少林寺拳法の技術が護身の技術とはいっても、気持ちまで護りになってはいけない。気持ちが受身になり過ぎると、相手を制圧することが難しくなるからだ。相手の攻撃を未然に防ぐように攻撃線を押さえたり、または上手く誘い込むように虚をつくるといったことが必要なのだ。
「武を用いる時に心に情けは残すな。迷いがある内は手を出すな。」というような言葉がある。
日常生活の中では、体構えから入ると臨戦態勢と思われる。
心構えができてない状態から構えてしまうと、気後れするのは自分である。まずは気構え・心構えが大切で、どうしても無事には済まされないなと感じたら構えるというようにしな
いといけないと思う。
だから、しっかりと気構え・心構えから入ることが大切なのだ。

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演武とは

演武とは音楽等と同じで、観てるものを清々しい気分にさせられるものでなくてはならない。
音楽は、ただ音が出せれば良いというものでない。テーマを持ち、それぞれの楽章で抑揚や緩急や強弱を使って、物語を演じている。
演武もまたテーマを持ち、それぞれの構成で空間や緩急や強弱を使い、武を演じるものである。
独奏ならば自分の気持ちの準備ができたら、自分のタイミングでできるだろう。それは、単独演武でも同じである。では、合奏になるとどうだろう?
指揮者の元に、気持ちを揃えて演奏しているはずだ。相対演武や団体演武には指揮者はいないが、お互いの気を合わせるという点では同じである。
この「気を合わせる」ということができていない時に演じても、バラバラな動きで不協和音となり、素晴らしさは伝わらない。気が合わさった時、合掌礼から始める。すると、構えも相手と揃う。最初が良ければ最後まで揃うもので、終わりの合掌礼も揃う。また、そうしないといけない。
最初が良くても最後にけじめがなければ、良い演武とは言えない。だから、最後まで気を抜かずに行なわなければならないのだ。
演武は演舞ではない。舞いを演じるのではなく、武を演じるのだ。気を合わせるのも、ただ合わせるのではなく厳しく合わせられるかが大事である。猛々しく行なうのである。
しかも少林寺拳法はダーマを体現するのだから、動きは猛々しくも美しくなるものだ。
少林寺拳法の技法は護身の術であるが、その前に宗門の行である。「粗」や「暴」が表に出ているものは良くないのだ。
『力の伴わざる正義は無力なり、正義の伴わざる力は暴力なり』
はっきりとした「猛」や「威」があって、その上で「美」や「品」があるのが理想なのだ。
かの「伝説の演武(風格ある演武)」のように・・・。
演武の構成の仕方は、偏ることなく攻守を入れ替えながらが良いので、なるべくなら交互にすると良いだろう。構成方法は、1構成目と6構成目は比較的慣れた安定かつ高速な大技にすることが望ましい。1構成目を、慣れた技にすれば失敗が少なくリズムに乗りやすくなるので、後の技がスムーズに行えるようになる。それと、大技は気を惹く効果がある。6構成目は締めという意味で、大技が見栄えが良いだろう。
同じ方向への倒しや投げは、なるべく使わない。襟十字と片胸落や巻小手と逆小手などは、素人目には同じに映りやすい。
それに、技を掛けられる側の体に悪いという欠点もある。
また、剛柔一体を謳っている少林寺拳法として、剛法から柔法や柔法から剛法といった構成は非常に大事であるが、実践で常に剛柔一体とは難しいし、演武を見る側としても飽きてくる。
剛法のみで豪快に極める構成も、一つ二つ入れると良い。
演武を構成するにあたって忘れてはいけないのが、テーマである。演武が持つテーマには必須のテーマと個々のテーマがある。
必須のテーマとは少林寺拳法の教えや特徴のことであり、自他共楽や力愛不二、不殺活人といったものを指す。これらは、絶対に外すことはできない。最近は、それらすら感じられない演武が増えてきた。
個々の設けるテーマとは、自分の目標や克服したい弱点、動きの特徴などを立てること。(個々のテーマの例…「流麗かつ重厚」「飛燕の如く」「空間」etc.)
テーマを設けて演武を作ると目標がはっきりするので、是非するべきである。

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乱捕とは

乱捕とは、少林寺拳法の技法の原理・原則(拳理)を、自由な攻防の中で運用する練習のことである。
剛法乱捕、柔法乱捕、限定乱捕、空乱等など、目的用途に応じていくらでも分けるこができる。
いきなり、攻守の取り決めなしでガチンコな乱捕をしても、技法の原理・原則(拳理)の運用なんてできるはずがない。
法形の延長から空乱へ、それから攻守を取り決め攻者の攻撃を限定した乱捕を行い、慣れてきたら攻守自由空乱や乱捕、最終的には剛柔乱捕と言った具合に徐々に枠を外していくことで、乱捕への恐怖感を与えにくく、取り入れやすくなる。
当身の五要素を充分に理解し、乱捕の中で剛法の攻者の五要素や守者の五要素、柔法の五要素をできているか等、現在の自分のレベルを知り、今後の稽古に繋げるためには絶対に欠かすことのできない必要な稽古法である。
武道では「一眼、二足、三胆、四力」と言い、まずは観る力が必要と言われているが、法形の基本方向のみでは確かな眼力を養うことができない。
指導する立場にある有段者はもちろん、武道の心得があるものは、いわばプロなのである。その自覚を持って、帯の色に恥じないだけの実力を身につけなくてはならない。
自分で自分に限界を作り成長を妨げないように、体力・能力に応じた修行を心掛け、無理をしないように取り入れていくべきである。そのために、レベルに合わせた乱捕稽古を行わなければいけない。
乱捕が恐くてなかなか導入できないのであれば、おでこタッチなど恐怖感を感じ難いものから行って慣れていけば良い。
法形の「応用」「変化」「選択」など、生きた法形から延長して空乱や限定乱捕を取り入れなければいけない。
破壊行為ではないので、建設的な練習法にしなければいけない。くれぐれもケガには充分に注意し、熱くならないように気をつけて稽古することが大切である。

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法形とは

「法」とは、目に見えぬ原理原則。「形」とは、目に見えぬ原理原則を具現化したもの。
つまり、「法形」とは実践の中で起こりうる動きの一部を、理法や動きを「強調し抜粋」したものである。
だから、基本の形のみを練習していても、いざという時に対応することは難しいだろう。
打撃を好む人、組み技を好む人、又は武器を持つ人といろいろいるだろう。そして、利き手や利き足の違いもある。
そう考えたら、基本方向のみの練習では足りないことに気付くだろう。
つまり、最低でも前後左右順逆表裏内外が考えられ、他にも差込足か差替足か、単撃か連撃、立っているか座っているか、徒手か武器所持かなどがあり、それだけの変化が必要なのである。
基本の法形の大切なところは、最もオーソドックスな動きから慣れていき、感覚を覚えることなのだ。その感覚を反対の手足に移していき、応用させていくことが大事なのである。
そして、技を練ることにより、自信がつき胆が錬られてくるのではないかと考える。
そのためには、「型」にならないよう形に囚われず、生きた法形を練習しなければいけない。しっかりと体感することが、大切である。
法形を活かすためには、生きた法形を練習する必要があり、使い分けの分類として「法形の応用」「法形の変化」「法形の選択」がある。
法形を実践で運用する前の段階として、法形の延長としてそれぞれ修練すると良い。

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基本とは

基本は、「攻技」「防技」「守法」「捌き」など、突き・蹴り・体構・体捌き・運歩等といった技術の基礎となるものである。
その動作は直線運動、曲線運動、円形運動の3つの動きの組み合わせによるものである。
各部位では小さな動きだが、連動させて動くことにより身体全体が動き、大きな力になる。その後、連動させていた各部位を同時に動かすように意識していく。
こういった身体の動かし方を覚えることが「基本」なのだ。
身体全体で動くことにより、無理のない動きができるようになる。無理のない楽な動きでなければ動き続けることが困難になるので、脱力することにも慣れなければいけない。
「技」とは「手を支える」という意味である。そして、手を支えるものは足捌きや体捌きといった「捌き」である。「手と別」である「捌き」によって手を支えるのだ。「支える」とは足という意味もある。上半身は力を抜いて楽にし、安定した下半身をつくる「上虚下実」を意識することが大切である。
技は小手先のみでは上手くできないので、「内観」を意識して、しっかりと身体全体を使うことを意識しよう。

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修練体系

技術修練には「基本」「法形」「乱捕」「演武」があり、それぞれに重要な意義がある。
「基本」には突きや蹴りや受け、体構えや体捌きや足捌きがあり、技術の基礎となるもので、体の使い方を覚えるために行う。その意識的な動作を無意識に行えるよう習熟することが目的である。
「法形」は技術の原理・原則(拳理)を学び、基本で覚えた動きを相手に合わせて応用させられるよう、間のとり方や虚実のとり方の感覚を覚えていくために行う。
「乱捕」は法形を自由な攻防の中で運用させ、自分がどの程度できるのかを試し、弱点を把握するために行うと同時に、技法の的確な連絡変化を覚えるために行う。
「演武」は、これまでに習得した法形を攻守を変わりながら掛け合い、技法の連絡変化に創意工夫を加えて演練するものである。技を無理なく連係させる練習として非常に有効で、技の連絡変化に重点を置き、質実剛健・豪壮華麗に行うように努める。

これらの意義の違うものを、偏ることのないよう満遍なく 演錬することで、それぞれに活かされ、より高みへ行けるのである。
「基本→法形→乱捕→演武」の順に、繰り返し繰り返し行うことが必要であるが、目立った欠点が見つかったら前の段階や基本に返り、繰り返し修練するようにする。
こうして「演武のような乱捕」「乱捕のような演武」が可能になり、乱捕と演武の境界がなくなり、技法が真に身についたと云えるようになる。

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その他のカテゴリー

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